友人と食事して、以前ご馳走いただいたお返しに会計の際に
「ここは私が。」と言ったところ友人が難色を見せたので、
「安いから大丈夫よ」、ととっさに言ってしまいました。
しまった! と思いました。
一つはお返しに"安い"はないでしょう...ということ。
もっといけなかったのは、コックさんが目の前にいたことです。
「安い」。文脈によっていろんな意味合いとして捉えられます。
価格は確かに「安い」。でも私はチープ(安っぽい)というつもりで言ったわけではない。
しかし、受け取った側はどう思うでしょう?
「安いけど美味しい」と言えばよかったかもしれない。
しかし美味しいのであれば、本来評価に見合う価格を付けてあげるのが筋。
だから「薄利多売」という代案があるわけだ。
安くした上で、リピートを狙いたくさん売れることを見込むのです。
このように、私の世代では大量生産大量消費が普通でした。
今、各地で度重なる災害で被災したモノづくりの現場を目の当たりにして、
私たちの身の回りのモノが、これほど日本、世界各地の人々の手によって
作られていることを知らされました。
そうだったのね。こんな手頃な価格で手に入り、生活を便利にしてくれたのは、
安く作る現場があるからでした。
消費自体は人間の営みにおいて自然な行為だと考えます。
しかし、今まで「安い」とか「お手頃な価格」に甘んじていた自分に気付く。
当たり前のように使い、ありがた味はいずこ、手入れはいかほど
自分で作ってないから...現場を知らないから...簡単に手に入るから....
かもしれません。
私どもの業界でも、真鍮製の優勝カップがあと数十年経ったら
作り手がいなくなるのではと危惧されてます。
細かい手作業は、とても快適と言えない町工場で分業されており、
気が遠くなるほどの緻密な手技に没頭しているのは、みんな高齢の職人さん。
国内の仏壇業界でも、高度な職人技を絶やさないために、
わざわざ買い手がつかない高価な品を発注します。
いつかほしいと思っても、作れる人がいない、ということを恐れているからです。
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最近の雑誌で見た工業デザイナー秋岡芳夫が40年前の著書で記した一言、
消費者をやめて、愛用者にもどろう!
はい。
愛用していただくモノを作り、愛用するつもりでモノを買い、
もう軽々「安いから」と口にしないと誓いました。
せめてのリスペクトでしょうか。
